2016年 06月 12日
介護記《最期》part3
*サヨさんとは、認知症で寝たきりになった祖母のことです。
サヨさんについての簡単な説明は、こちらをご覧下さい。…。…。…。…。…。
最終回です。
子供たちに見守られての旅立ちでした。
サヨさんの移行の知らせを受けて孫たちも駆けつけ、親戚一同がお別れをすることができました。
私は寝たきり状態でしたので病院へは行かれませんでしたが、"ああ、よかった‥"と安堵の気持ちで一杯でした。
そして、サヨさんへの感謝の祈りを捧げていました。
病院から戻った母はとても明るく、すっきりした顔をしていました。気持ちの整理がつくまで、やれることはすべてやったという満足感で晴れ晴れとしていました。
そして、「ねえねえ、サヨさん、うまいことやったのよ~。栄養剤を点滴で打ってたでしょ?だから顔がね、むくんでたの。
そのおかげで皺がのびちゃって、ほっぺなんかつやつやで若返っちゃってきれいだったのよ~。あれはサヨさん、うまいことやったわね~。」なんて言って笑って報告してくれました。
後で従姉妹に聞いたら、あんまりきれいだったから病院で記念撮影しようとみんなで話してたんだけど、変な親族だと思われるからやめたと言っていました。
明るい一族で良かったです。
お葬式準備も、母はとても楽しそうに進めていました。「サヨさんの写真をたくさん飾るんだ~♪」と言って、大きな額に写真を何枚も入れて、まるで結婚式のウエルカムボードのように作っていました。
私はもちろん参列できませんでしたので、代わりに夫に行ってもらいましたが、帰ってきて、「すごく明るくて楽しいお葬式だった。なんか、幼稚園のお楽しみ会とか同窓会みたいな雰囲気で、みんながわいわいおしゃべりしてて、笑いに溢れてた。」と報告してくれました。
私は"じい(祖父)の時と同じだな~"と、とても嬉しい気持ちで聞いていました。
誰の世話にもならず、見苦しいところは一切見せず、誰にも知られず、寝ながらぽっくり逝った祖父。
サヨさんの晩年は祖父と正反対でしたが、葬儀はまったく同じような明るさでした。
偉大な二人のおかげで、私たち親族は、ぽっくり逝こうが、呆けて逝こうが、終わり明るければすべてよしと、死を軽やかにとらえることができました。
特別な功績も残さず、平凡に生きた二人が私たちに遺したものは、とても大きなものでした。
私は二人を心から尊敬し、感謝しています。私の最期も、残った人たちにとって、明るく晴れやかなものでありたいと思い、後悔なく、未練なく、執着少なく、明るく笑って一所懸命生きることを心がけていきたいな~と思います。
どこまで二人に近づけるのかわからないですけど‥。
fin
貴重なお時間お付き合いいただき、ありがとうございました。
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by smilelife8
| 2016-06-12 07:00
| 介護
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