ピアノの先生の思い出*2
私の父の田舎、福島では旧盆なので、今がお盆と言われてもピンと来ず、我が家ではお墓参りも何もしない普通の日々なのですが、関東地方では7月のお盆が定着してきているようなので、ブログは合わせてみました。
ピアノの先生の思い出のつづきです。
お時間あればお付き合いください。
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小学校2年生から始めたピアノは、高校の時に1度途絶え、短大で再開し、社会人(保育士)になってからまた途絶えました。
その間に先生の奥様が亡くなってしまい、私は保育士を辞めて時間が出来た頃、お線香をあげさせていただこうと、何年かぶりにお宅を訪ねました。
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先生の家の中は見るも無惨な有り様で、「きゃ~っ!!」と悲鳴をこらえるのが大変でした。
だってゴキブリが何匹もはい回っていて、死骸もあちこちに、しかもワンちゃんがじゃれてかじっていたので…、「きゃ~っ!!」でしょう?
でもぐっとこらえ、奥様のお骨を安置している部屋でお祈りし、先生と少し話しました。
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哲学者とは厄介な者だと思いました。
自分の哲学の中では死後の世界はないと思っているから、奥様のお墓も仏壇もなく、お骨がそのままテーブルに置かれていたのです。
しかも奥様が亡くなられたショックから立ち直れず、天国がないと思っているから向こうで会えるという希望も持てず、心のやり場もわからずにふさぎこんでいたのです。
そして、死後の世界はないから奥様はもういなんいとかなんとかうだうだ繰り返しておりました。
私は段々頭にきまして、(すまいるさん、待ってって?いーえ、待てませんでした!)
「先生っ、天国が本当にあるかないかなんてどうでもいいのっ。
大事なことは先生の心が安心することでしょうっ。
先生は、奥様が天国で幸せに暮らしてて、自分もまた会えるんだと思うのと、死んだらすべてが終わりで、奥様の存在は無になって二度と会えないんだと思うのとどっちが楽なの?
安心するの?」
とキレ気味、いえ、かなりキレて申しました。
「天国に行けば必ずまた会って一緒に暮らせるんだと思う方が落ち着けるでしょう?
だったらそう思えばいいの。
哲学なんか関係ないの!わかった?」
これじゃ、どっちが年上かわかりませんね。
でもこの一撃で先生は少し安心されたみたいでした。
この惨状を見捨てる訳にはいかず、私は
「これから掃除に来てあげる(えらそ~)。
その代わりバイトとして時給も頂きます。
その時給は私がまたピアノ習うってことでどうですか?」
と提案しました。
先生のお顔がぱあっと明るくなって、その日から生きることに前向きになれたようでした。
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私は大変でしたよ。
ゴキブリとの格闘が…、もう…ほんとに…(涙)
それから先生はオペラ歌手でもあったので、下手くそながら伴奏もしたりしました。
歌を歌うといいですね。
先生はどんどん元気になっていきました。
私もピアノをまた教えていただき、今でいうwinwinの関係(違います?笑)を構築しました。
先生の寂しさを紛らすためにティータイムがかなり多い掃除のバイトでしたが…(笑)
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死後の世界があるかないかと、世間でもたまに論じられていますが、私は先生にも言った通り論点はそこではないと思っています。
ないという方は心から愛した人を亡くされた経験がないのではないでしょうか。
愛した人にまた会いたいというのはごく自然な感情です。
弱さではありません。
必ずまた会えると思うことで、生きることができるのならば、それがその人の真実なのだと私は思います。
ないと思っていると、愛する人を亡くした時、先生と同じように何処にも心の持って行き場がなく苦しみます。
そしてないと思っているとその通り、死んでも天国は見えません。
あると思うことになんのデメリットもありません。
ですから私は、天国はあると信じていただきたいと思っています。
ありがとうございました。
次回最終回です。
玄関にある“ラム専用テラス”にてお昼寝中。
ラム「ちょっとせまい…。」
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九州地方、豪雨の被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。
早く日常生活に戻れますようお祈りしています。
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