今でも心に響いている言葉4『モモ』より
何故か関東だけ雨でさむーいです。
ホカロン貼りつけております。
みなさんもあったかくしてくださいね。
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私は小さな頃、自分の気持ちを言葉にするのが苦手で、例えば親に反論しようとすると同時に、だぁーっと涙が出てしまう子でした。
かといって大人しかったわけではありません。
その反対でガキ大将でした。
国語の理解と表現が幼稚で下手だったのです。
だから、作文とか読書感想文が大の苦手でした。
そんな私が人生の中で、感想文で誉められたのはたった2回。
『さと子の日記』と『モモ』でした。
『モモ』は、小学校6年生に読んで、感想文でA評価をもらいました。
本当に感動し、共感し、現実とごっちゃになり、ただ思ったことを一気に書いただけだったのですが…。
『モモ』には名言がたくさんありますが、とりわけ私がモモのことをすごい!と思ったのは、
“人の話を聞ける”
ということでした。
モモをご存じない方は、なんだ、そんなこと?
と思うかも知れませんが、モモの聞き方は、ちょっと違うのです。
どんな風に違うのか、ちょっと引用してみますね。
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『たとえば、こう考えている人がいたとします。
おれの人生は失敗で、なんの意味もない、おれはなん千万もの人間のなかのケチなひとりで、死んだところでこわれたつぼとおんなじだ、べつのつぼがすぐにおれの場所をふさぐだけさ、生きていようと死んでしまおうと、どうってちがいはありゃしない。
この人がモモのところに出かけていって、その考えをうちあけたとします。
するとしゃべっているうちに、ふしぎなことにじぶんがまちがっていたことがわかってくるのです。
いや、おれはおれなんだ、世界じゅうの人間のなかで、おれという人間はひとりしかいない、だからおれはおれなりに、この世のなかでたいせつな者なんだ。
こういうふうにモモは人の話が聞けたのです!』
出典ミヒャエル・エンデ(1976)『モモ』
…。…。…。…。…。
いかがでしょう、すごくないですか。
私はものすごーくすごいって思いました。
話を聞くだけで、人を前向きに明るくしてあげられるなんて!
理想だ!と鼻息荒くなりました。
そして、自分もモモみたいに聞けるようになりたいと思ったのです。
言葉を尽くさなくても、その存在だけで癒しと解放と希望を与えられる。そんな人間になりたいと思いました。
ですが、短気な私にはその道のりは遠く、失敗と反省ばかり。
聞くどころか遮ってお喋りしちゃったり…。
でもあきらめてはいません。
小学校6年生からずっと。ふ、ふ、ふ、
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モモは、基本的に無口な女の子なので、モモの言葉がすごいというよりかは、生き方そのものがモモの言葉のようなのです。
ですから、モモがまるごと私の心の中に居て、忙しくて自分を見失いそうになってる時や、感謝を忘れてイライラしてる時、人の小さなミスに囚われてる時なんかに、じーっと私を見つめて、聞いてくれている感じがするのです。
そうすると、はっと気づいて
“いけない、時間泥棒に盗まれてたみたいだわ”と、取り戻すことができるのです。
モモに時間を止めてもらって、失った時間を取り戻してもらったことが、地球は何回もあるんじゃないか、と、今でも本気で思っています。
モモは出会ってからずっと私の奥で宝物のように光っていいるのです。
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