2014年 11月 17日
サヨ語録*女工時代のお話
★お知らせ★
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この記事は、もうひとつのブログ、
「すまいるらいふ*絵と詩(うた)」から移動してきたものです。
★サヨさんとは祖母のことです。
私達は、敬愛を込めて、“サヨさん”とか、“サヨちゃん”とか呼んでいました。
認知症で、子供や孫の名前も忘れてましたが、時々急に昔話を詳細に話したりして、驚かされました。
「サヨ語録」
ある日のこと、サヨさんが突然、女工時代の話をし始めました。
サヨ 「田舎にカネボウの募集人が来たんだよ。
私は恵まれて育ち、ひもじい思いをしたことがありませんので、親孝行したいという想いはあっても、楽にしてあげたいという気持ちは、さほど強くなかったように思います。
サヨさん、ありがとうございます。
私達は、敬愛を込めて、“サヨさん”とか、“サヨちゃん”とか呼んでいました。
認知症で、子供や孫の名前も忘れてましたが、時々急に昔話を詳細に話したりして、驚かされました。
「サヨ語録」
ある日のこと、サヨさんが突然、女工時代の話をし始めました。
サヨ 「田舎にカネボウの募集人が来たんだよ。
どんなことするの?って聞いたら、これこれこうだと説明してくれたから、行く行くってすぐ決めたの。」
私 「さみしくなかった?」
サヨ「さみしくなんかないよ~。これ(指で輪を作って
お金の意)が欲しかったから。」
私「笑。」
サヨ「カネボウっていう大きな会社だったから、良かった。
小さい会社に入って自分の小遣い程度の稼ぎじゃしょうがないだろ。やっぱり大きな会社に入ったから、家にも仕送りできたしさ。
健康だったから、どんなにか働いたよ。
休みの日には、友達と海に貝取りによく行ったよ。
みんなと自分の故郷の話したり、親の話したりさ。」
こういう話を聞くと、明治、大正生まれの人は、肝っ玉座ってるというか、いちいちうじうじ悩む間に、動いて稼いでいたという逞しさを感じます。
貧しい家が多く、兄弟も多かったため、親に守られてないから、自分で食べていかなきゃ!という意志がないと生きていけなかった時代ですね。
そして、みんな自分のためだけじゃなく、家族に仕送りをして、親を楽にしてあげたいという気持ちがありました。
私は恵まれて育ち、ひもじい思いをしたことがありませんので、親孝行したいという想いはあっても、楽にしてあげたいという気持ちは、さほど強くなかったように思います。
でも病気をして親に迷惑をかけ、心配と苦労をかけ続けながら過ごしたおかげで、絶対親を楽にしてあげたいという気持ちが強くなりました。
親の大変さ、苦労を目の当たりにすると、自然と恩返しの気持ちが沸くのですね。
それにしても、小学校卒業してすぐ、単身東京で働くなんて、本当に偉いです。
女工の仕事はとてもきつく、体を壊す人も多かったと聞いたことがあります。
きっと故郷を思って、忍び泣く夜もあったことでしょう。
だけど、貧しい我が家に帰っても食いぶちが増えてしまい、迷惑をかけるから帰れない。
少女たちで励まし合って耐えていたのでしょう。
本当に頭が下がります。
そういう大勢の逞しい先人方の働きのおかげで、今の豊かな日本があるのだなあと改めて感謝の思いが湧きました。
サヨさん、ありがとうございます。
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by smilelife8
| 2014-11-17 00:00
| サヨさんのお言葉(祖母)
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