サヨ語録*ご無理なさらないでね~
おまたせしました~。って、まってない?笑。
じいのことは、詩でもエッセイでも
紹介させていただき、お誉めの言葉もいただきまして、ありがとうございました。
さて、では祖母はどうだったのかといいますと、これまた面白いのですが、じいとは正反対の死に方だったんですね。
認知症になり、寝たきりになり、全介護になり、病院で亡くなったのです。
じゃあ暗い死に方だったかというと、これが、じいにも負けず劣らずの明るい死でした。
なぜ?
祖母は、じいのように短い詩や文章では表しきれないほどのネタ(?)がありますので、小分けにして、テーマごとに記していきたいと思います。
祖母は、大正生まれ。
通称、サヨさんで、よろしくお願いします。
…。…。…。…。…。
〈明るく笑い上戸〉
サヨさんは、岩手県生まれで、東京向島に女工さんとして上京、じいと結婚しました。
6人の子供を育て、長男夫婦と同居。
じいは小さかったからか、戦争にとられませんでした。
じいの死後、転倒を引き金に老人ホームへ。
歩けなくなり全介護になりました。
認知症も始まり、家族の記憶も曖昧でした。
見かねた母が引き取ることになり、介護生活が始まりました。
私も手伝いで通いましたが、そのうち私も倒れ、サヨさんが亡くなるまで母は、全介護の病人を二人抱えることになりました。
ほとんど一人で看ていたのですから、母の根性はあっばれとしか言い様がありません。
母が参らずに済んだのは、サヨさんが明るく笑い上戸で、ありがとうが口癖だったことがとても大きかったと思います。
自分一人で気張らないで、もっとオープンに人に相談したり、時には甘えたりしなさいと言われたみたいで、それが苦手だった私にはとても身に染みる言葉でした。
「無理するな」はサヨさんの口ぐせで、会うたび言っていました。
案の定、倒れてしまい、病人になってしまい、無理してたみたいです。
言い付けを守れずごめんなさいでした。
…。…。…。…。…。
こんな感じでまだまだありますが、いかがでしたか?
あと、私は介護体験のリアルな感想を残したいと思って、自分が寝たきりの時も、こうされたらこういう気持ちになるとか、こうしてもらうと助かるといったこともメモしていました。
サヨさんを介護する立場と、自分が介護された立場と両方を経験しましたので、その観点から書いたものです。
それでは今日はこのへんで~。